「贅沢なる食の詩」

無農薬の無花果、まるごとの贅沢な調べを奏でる。半分にだけ切る、その威容は目を見張るものがある。しかしコンフィチュールとなる過程で小さな存在となる。けれども、まるごとのごろっとした姿が、贅沢であることを証明する。

微風が、わずかにスコッチの香りを運ぶ。

本柚子、その香りは一刀の下に開放される。フレッシュな香りが優雅に舞い上がり、その生命力に満ちた香りは、ハーブティーに新たな響きを紡ぐ。

 

バジルの緑、元気に揺れる。ジェノベーゼソース、松の実の調べにのるべきである、しかしakaiitoでは南瓜の種が加わる。エキストラヴァージンオイルの座を譲り、本胡麻油がその深みを加える。それは濃密な旋律となり、味覚を魅了する。

こうした素材たちに触れながら、その感動に心が震える。ひとつひとつの要素に愛情を込め、じっくりと料理する喜び。これこそが店主の至上の楽しみである。

お客様のために、時間は使われる。その時間は、お客様にとっての特別なひとときとなり、料理は身体の奥深くまで癒しをもたらす。

不思議なことだが、幸福な瞬間には顔が優しい表情になるものだ。たぶん長い休日の最後、鏡を見ると、そこには「あ、いい顔してる」と微笑む自分がいるだろう。愛らしくて愛すべき出来事は、心身の元気をもたらすのだ。

店主は栄養士の母に育てられた。買ったお菓子は食べさせないという方針の下、母の手でパンが焼かれ、ケーキが作られた家庭の匂いが漂う。シュークリームに詰められた手作りのカスタードクリームの味は、未だに脳裏に焼き付いている。友達が遊びに来れば、キッチンから広がるマドレーヌの香り。そんな母に対する憧れの声が、友人たちの口から漏れる。そんな事を当たり前として育った。

現代は、忙しさの時代である。時には食べることさえも適当になりがちだ。満たされぬ美味でお腹を満たし、その後に後悔を感じることもある。

私はもともとカフェが好きで、飲食業界に身を投じた。大阪の人気店での経験、フードコーディネイターの教え、そしてさまざまな現場での経験。大手食品会社の料理教室の講師としても活動した。

そして、akaiitoを始めてから12年が経つ。

「こんな店は他にはないよね」と、お客様たちは言う。彼らは店の中で人生の一刻を共有し、心温まる瞬間を過ごす。

「ただいま」と言って帰る場所。まるで自分の台所のような場所。

そして、孤独になる場所。スマホや人間関係を置き去りにして、ひとりで過ごす場所。

8月27日、朝7時から始まる。お客様のための「モーニングスペシャリテ」が用意される。

これが、贅沢なる食の詩。